カテゴリ:思い出( 3 )

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2016年のお正月はさほど寒くもなく、曜日のあたりのせいで短いお休みでした。
今日4日から事務所行きましたが、ほぼ電話も鳴らずどこも明日から始動かな。

さて、かつて実家の銭湯での年末年始は、大晦日は年を越して午前1時くらいまで営業してました。一年の疲れをどうぞお風呂で流してくださいというようなかんじですね。除夜の鐘が聞こえてきて12時過ぎると、来られたお客さんには「こんばんは〜」じゃなく、「あけましておめでとうございますー」と挨拶しないといけないのでその時番台するのはちと気恥ずかしかったような。
それから風呂掃除終えて寝て、朝親族の家に集まり、ちょっと宴会、そして夜は早めに寝て、次の日2日は初湯で朝8時に開けてました。だから父母は早朝からボイラーに火を入れたりバタバタだったはず。さすがにその日は夕方5時くらいまでで閉めます。全盛期は初湯はとても賑わってたなー。たまにお年玉をくれるお客さんもいたっけね。
いつ頃からか、浴場組合の発案でしょうか初湯は酒湯てことになって、風呂用の日本酒が組合から配られてました。お風呂が終わったあとは超酒臭かったです。母はそんな忙しい中、おせち的な物や唐揚げやらよく作ってたなと感心します。はたして私ら手伝いしてたのかしら?
そして3日がお休みで、やっとゆっくり。その日に父の里まで行ってた気がします。(すべて記憶力が乏しく断定し辛い)

でも私は子どもの頃お正月が好きじゃなかったな〜。
お店はどっこも閉まり、原っぱには誰〜も遊んでなくて、おせちは子どもが好きなものは少ないし、雑煮もそんなに食べない。きな粉餅は好きだったけど。
誕生日なのにお祝いはついでだし、テレビだってつまんない。「春の海」ばっかりやたら耳につく。
嬉しいのはお年玉と集まったいとこたちとワイワイ騒ぐこと。
お屠蘇の赤酒はちょっと好き。熊本以外のお屠蘇はべ〜ってなっちゃいますね。

今は大人になって結婚もして、お正月はだいたい夫の実家。おせちはおおかたお母さんが作っててくれ、私はちょこっとお手伝いするくらい。昔は苦手だった数の子、菊花かぶ、酢蓮なんてのもだいたい食べられるようになりました。
お父さんの影響で2日と3日の箱根駅伝も見ます。毎年見てたら案外面白い。毎回ドラマがあるんですよね。タスキの重みが伝わるようです。
子どもたちのために始めた大ビンゴ大会ももう何回めかな。景品はたいしたことなくても当たることが大人も子どもも大事。

毎年同じような正月ですが、今年も前年同様つつがなく平穏に暮らせますようにまた来年の正月もビンゴ大会で笑えるようにと平和をかみしめる日なのかも。

まあでも自分の家に戻って、届いてる年賀状をチェックして、初洗濯機を回して、荷物を片付けながら
「やっぱりうちが一番ね」とほっとしたりしますけどね。
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('77年7月号メンズクラブより)

先日テレビ見てたら、ヨーカドーが展開する10代向けのカジュアル服のブランド名がMc sisterですと!なんで今?

私が中学生の頃、世の中IVYルックが大流行。勉強もせんとせっせと読み込んでたのが当時女子のバイブル、メンズクラブの妹版であるmc Sister(エムシーシスター)。
トラッドがよく似合う土屋名美、ポニーテールの吉沢まゆみといった人気モデルの真似してボタンダウンシャツにボックスプリーツのスカート、コインローファー等姉とおもやいで着てました。服以外も、街の輸入雑貨屋でシスターに載ってた小物を探し、py co payの歯ブラシ、蓋がスライドする筆箱、メイベリンのアイメイクキット、Goodyのヘア用品、ジェットマシュマロ、ジャンクなお菓子、アメコミのグッズなど手に入れて喜んでましたねー。

さてシスターはファッションページ以外も面白かったんですよ。
そう続かなかったけど気合の入ったDIYのページがあり、折りたためる衝立て(ペンキでターザンの絵まで描かれてた)とか、あまりの高度さに絶対誰も作らんだろうといったものが載ってました。見るのは楽しかったですけどね。
それからイラストレーター陣はかなり贅沢なラインナップ。
大好きな原田治、ペーター佐藤、河村要助、スズキコージ、大橋歩あと斎藤融、中原幹生、他。
カーマガジンでお馴染みのBow。こと池田和弘のステキなイラストエッセイのページは今でも切り抜きをとってます。水彩タッチが新鮮でした。
長新太挿絵の長田弘の連載小説「ウサギとジュリエット」、単行本で買った時には「サラダの日々」てタイトルだったけ。

そのうち全国的にフィフティーズブームがやってきて、しっかり波に溺れます。高1の夏のシスターとメンズクラブで特集してありました。
ポルカドットのサーキュラースカート・ボウリングシャツ・サドルシューズてのは やりすぎてたよなと自分でも思います。さすがに後からは少し年代ズレてタータンチェックのスカート・レタードカーディガン・小さな襟のシャツ・サドルシューズorケッズのチャンピオンオックスフォードというアメリカングラフィティのローリー的格好がお気に入りでした。

しかーし流行はパパパッと変わって行くものですね。
ポニーテールでバリバリのツイスト踊ってた後輩がある日バッサリテクノカット&モノトーンルックに変身!シスターでもプレッピーが注目され始め、いつの間にか自分のアイテムもチノパン・ポロシャツ・デッキシューズ。
そしてポパイに続きオリーブが創刊され、シスターに手を伸ばすことがなくなっていきました。

でも印象的だったページはよく覚えています。海外ロケだったのか 基地やアメリカンスクールとかで撮影されたのかわかりませんが、当時の憧れのアメリカ〜ンな世界を創りだしてました。そしてまんまと消費させられつつ妙〜な充足感があったんだよねー。本を作る側も見る側も思いが強かったんだろうな。
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        (墓参りの後に行った竃神社の鹿)


ああ忙しい忙しい。
仕事もバタバタ、他にもあれやこれやすること山盛りの今日この頃です。

先週末は父の11回目の命日で墓参りに行ってきました。
姉一家と一緒だったのでお墓なのにえらい騒ぎですんません、でした。

父が亡くなってたたんでしまいましたが私の実家は銭湯でした。
私が生まれた頃は静かな住宅地のそう広くない銭湯。
当時は両親とも子育てに追われつつ馬車馬のように働いていたそうです。
それから3歳頃になって移ったのは、大きな遊郭があった町の銭湯でお客さんの入れ墨率が高かった。
ガラ悪いけど面白い所でした。余所のおじさんやおばさんでも行儀の悪い子どもはちゃんとしかってた時代でしたね。
畑もあり相当広い家で、いっつも誰か近所の人がしれーっと居間に座ってたっけ。
10歳頃また引っ越して今度は若干都会。
ここが一番古い銭湯で百年近く経ってるという噂も。
ぼろぼろでしたが風情はありました。
燃料もおがくず→廃油→古タイヤ→廃材と変化していきましたので、今でもまれに残ってる銭湯を見かけると燃料は何を使ってるんだろう?とつい気になってしまいます。
40年くらい前はまだお風呂が無い家もけっこうあり、まさに『時間ですよ』の世界でした。
賑わっていた頃は一種の社交場でしたね〜個性的なお客さんも多かったなあ。忘れないうちに記録しておかなきゃ。
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そうそう忘れたくないといえば今では描く人が絶滅しかかってる、お風呂場のペンキ絵。
ほんと早いんですよー描くの。刷毛の使い方で波の強さ、松の枝振り、葉の陰影、富士の山肌、とみるみる美しい日本の風景が出来上がっていきます。
写真が残って無くて残念。
描き変える時は面白くてずーっと見てたような。
私が絵を描くのが好きになったのもしかしてこれが原点か?



銭湯自体も激減しています。
福岡市の中央区には4軒(※組合に加入されている店)しかありません。
銭湯もペンキ絵もできれば何らかの形で残していってほしいものですねー。
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